日本橋七福神めぐり(パワースポットめぐり)

スポンサーリンク
《PR》
日本橋七福神めぐり その他
スポンサーリンク
スポンサーリンク

橋七福神は、小舟町・小網町・人形町・靴留町などの八つのすべて神社に祭られています。

スタートは、特に決まってはいませんが、一般的に紹介されているものは、巡る人が人形町駅下車をスタート地点を考え、パワースポットでもおなじみ、小網神社からです。
全ては1km圏内なので、2,3時間で回ることができます。
日本橋散歩の1つとして有名コースです。

日本橋七福神めぐり 神社紹介

小網神社-福禄寿 弁財天


強運厄除けで有名でパワースポットとしても有名。
稲荷大神を主祭とし、文政元年1466年に鎮座したお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られています。

健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ 境内地にあった万福寿寺におまつりされていました。

稲荷神を主 祭神とする小網神社は約550年前の文正元年(1466年)悪疫鎮静の 神として鎮座。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名づけ たといわれます。

社殿(昭和4年建立)が戦災を免れたり、同神社 の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、 近年「強運厄除の神」として信仰を集めています。

小網神社:中央区日本橋小網町16-23

茶の木神社-布袋尊


かつて周囲で、見事に生い茂っていた茶の木が由来となった神社です。

「お茶ノ木様」と町内の人に親しまれている茶ノ木神社の御祭伸 は倉稲魂大神。昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の城主(十八万石)大老堀田家の上屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたものです。

お社の周囲に巡らされた土提芝 の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植込まれ、芝と茶の木 の緑が実に見事であったと伝えられています。今でも防災・生産の 神様として信仰を集めてます。

茶の木神社
中央区日本橋人形町1-12-10

水天宮-弁財天

関連ページ


安産・子授のお宮として有名な水天宮。戌の日には、水天宮の周りに人の行列ができるほどです。
その成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が1818年、久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まり。
日本橋七福神を代表するお社です。

久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公「ありま・よりのり」が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公「まえだ・なりなが」と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われています。

芸事をはじめ学業・金運のご 利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されています。また、水天 宮本殿についても文政元年(1818)に江戸上屋敷(三田赤羽橋) の邸内に祀ったことが始まりです。

水天宮
中央区日本橋蛎殻町2-4-1

松島神社-大国神


11月の酉の日には市が開かれる松島神社。
明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。

創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定されます。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられています。天正13 年(1585) 2月13日、邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々 松島稲荷大明神と唱えました。御祭神は大国主神をはじめ、ご神格の 高い神様が、14柱と他社に比べて多い神社です。

松島神社
中央区日本橋人形町2-15-2

末廣神社-毘沙門天


江戸時代の初期に吉原がこの地にあった当時、その地主神、産土神として400年以上前から信仰されていました。
明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されました

当社は慶長元年(1596年)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあっ た葭原(吉原)の氏神として信仰されてます。延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けらました。

幕府に仕える武家からの崇敬も篤く、旗下火消頭に庇護や祭事の 奉仕もさせている。毘沙門天の御神徳は勝運向上が有名ですが、その昔当社は疫病鎮めの信仰も集めたことから病気平癒はもちろん、 厄除け、財運向上、福徳繁栄など多聞天の別名のとおり、今では様々 な御神徳を求めて祈願する参拝客が多い神社です。

末廣神社
中央区日本橋人形町2-25-20

笠間稲荷神社-寿老神


日本三大稲荷のひとつ茨城県笠間稲荷神社の東京別社。
江戸時代末期に笠間藩主牧野貞直公が、本社より御分霊を奉斎して建立されました。

日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきました。江戸時代末期安政6年 (1859)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。以降、牧野家のみならず日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めた。寿老神は長寿の神にしてお導きの神・幸 運の神として人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神です。

中央区日本橋浜町2-11-6

椙森神社-恵比寿神


当社は遠く一千年の昔、田原藤太秀郷、将門(まさかど)の乱を鎮定の為、戦勝を祈願したのがはじまり。
10月に行われるべったら市では、この神社の前にも露店が並び賑わいを見せています。

遠く一千年の昔創建にして、天慶三年(1940) 田原藤太秀郷戦勝 を祈願し強敵を亡ぼす、偏に神助に依ることと、白銀の狐像を奉納す。文正の頃、関東一帯連年旱魃ありて、太田道灌、当社に詣で乞い祈らばその霊験あり、尊敬のあまり山城国稲荷山五社大神を祭祀す。特に神道家の吉川惟足は信仰厚く、五社稲荷の一社なる大己貴大神の御宣託に依り、恵比寿大神を奉斎せられ、今日に至るも年々盛大に、祭典を執行せり(10月19・20日)。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多い。

椙森神社
中央区日本橋堀留町1-10-2

寳田恵比寿神社-恵比寿神


徳川家康江戸入府以前は、宝田村の鎮守でしたが、江戸城拡張により村の転居を命ぜられ、当地へ遷座しました。当地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と重要な役割を担い大変賑わいました。10月に行われる「べったら市」は、“べったり運がつく”と元禄時代から人気です。
寳田恵比寿神社
中央区日本橋本町3-10

日本橋 七福神めぐり(日本橋三越本店協賛)
日本橋 七福神めぐり 1月4日、本日行ってきました。 三越の前には、日本橋 七福神めぐりに参加の人で行列です。

日本橋 七福神めぐり(日本橋三越本店協賛)